アルフレッド・アドラーはオーストリア出身の心理学者であり、フロイトやユングと並ぶ心理治療法を確立した一人です。
そんな彼の思想をまとめた「嫌われる勇気」は、一度は聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
また、「個人心理学」または「アドラー心理学」と呼ばれる心理学を創唱した世界的な心理学者でもあります。
この記事では、アルフレッド・アドラーとはどんな人物なのか、嫌われる勇気からどんな心理学を学べるのかを紹介します。
・アルフレッド・アドラーとは?
・ベストセラー「嫌われる勇気」のあらすじ
・人間は「嫌われる勇気」を持てないという現実
・アドラー心理学とは?
ただ嫌われる人とそうでない人の違い
以上のことをお話していきます。
目次
アルフレッド・アドラーとは?
アルフレッド・アドラーは、ウィーンの郊外ルドルフスハイムに6人兄弟の次男として生まれ、後に有名なフロイトやユングと並ぶ精神医学と心理学を確立した1人。アドラー心理学という流派を創始しています。
著書
アルフレッド・アドラーの心理学を学ぶために有名なのが「嫌われる勇気」です。
本書は2013年に心理学者アルフレッド・アドラーの思想を物語にしてまとめた自己啓発本です。日本人の古賀史健氏と岸見一郎氏によって、アドラー心理学について分かりやすく書かれています。
累計発行部数は185万部まで達しており、韓国では100万超え、台湾では30万部を超えている大人気ベストセラーです。
アジアだけでなく欧米圏でも翻訳版が出版され、その評価は海外でも絶賛されています。
ベストセラー「嫌われる勇気」のあらすじ
嫌われる勇気にはサブタイトルがつけられており、「自己啓発の源流「アドラー」の教え」です。要するにアドラー心理学を分かりやすく書いた入門書。
アドラー心理学では、フロイトが説いた「すべての結果には必ず原因がある」という原因ではなく、「目的」を考えます。結果は何かしらの原因のせいだとすると、過去の原因によってすべての運命は決まってしまい、未来を変えることができなくなるというのがアドラー心理学です。
また、人生はさまざまな苦しみを経験しますが、そのすべての原因は人間関係だとアドラーは言います。人から認められたい、褒められたいという承認欲求を満たすために、嫌われないよう行動する生き方は不自由で疲れます。
そこでアドラーは人間関係の悩みで不自由な人生から解放されるために、嫌われる勇気を持ちなさいと言っているのです。
そのために本書ではアドラー心理学を5つに分け、分かりやすく説明しています。
人間は「嫌われる勇気」を持てないという現実
誰しも「人に好かれたい、嫌われたくない」と思うものです。
ただ、嫌われたくないという欲求が強いと、自己否定までもしかねません。要するにありのままの自分を隠し、ウソをついてまで人に好かれようとするのです。
そういったことを繰り返した結果は明らかで、人によって言動をコロコロと変えると「何を考えているのかわからない、ウソつき」という印象を与え結局、人が離れていきます。
社会に出ればさまざまな人に出会い、仕事をし、遊び、学びます。この世に生を受けてから死ぬまで、人は人に関わらずに生きていくことはできません。
そんななか、人に嫌われることは怖いことなのです。特に日本人は「個人」よりも「調和」や「平穏」を好む国民性。嫌われる勇気は、日本人には難題なのかも知れません。
ですが、もしあなたが嫌われたくないと思い、自分にウソをついてまで好かれようとしたその人が「間違っていることをしている」としたらどうでしょう。
たとえその人に嫌われようとも、あなたがウソをついてまで好かれようとする必要はありません。
むしろ、あなたを支持してくれる人もいるでしょう。一人は全員ではないのです。
勇気を持って嫌われてください。
アドラー心理学とは?
アドラー心理学とはどのようなものなのでしょうか。基本は5つの理論的な枠組みから成り立っています。
目的論
人間の行動や感情は、目的のために創りだされるというのが目的論です。
例えば過去に経験した事故によって自転車に乗れなくなってしまったとします。
・フロイトの原因論は、「事故を経験したから自転車に乗れなくなった」
・アドラーの目的論は、「恐怖を避けるために自転車に乗れなくなった」
目的論は何を言いたいのかと言うと、自転車に乗ろうとしたときに過去の事故のことを思い出して怖くなるために乗らない選択を自らしているのです。
原因論と目的論の決定的な違いは、「過去の原因」か「現在の目的」かということです。
全体論
アドラー心理学では、個人を「心と身体」というような分けた考えではなく、それ以上分割できない個人としてとらえられています。よって、心と身体、意識と無意識、感情と思考などの間に矛盾や対立などを認めません。
例えば、車を運転するときのアクセルとブレーキを思い浮かべてください。アクセルとブレーキは行動としては相反するもの。
ですが「進む」と「止まる」という動きは矛盾ではなく、「車を安全に走らせる」という目的のために協力しています。
このことと同じように個人という全体が心と身体、意識と無意識、感情と思考などを使って、目的に向かっているという考えです。
個人の主体性
分割できない個人が、精神や身体を動かすという考えです。
簡単に言うと、自分の感情で個人を動かすのではなく、個人が感情、行動、身体を動かし使っているということになります。
例えば、今いる環境もどんなことがあったにしろ、「自分で選んでから行動している」のです。
辛いことや楽しいこともすべては自分で選んだ末に、悲しい、辛いといった感情が生まれるということ。
よく考えてみると分かるのですが、今いる環境は「選びなおす」ことが可能なのです。
この考え方を知っておくと、良くないことが起きても他人のせいや環境のせいにすることがなくなるのではないでしょうか。
仮想論(認知論)
人間は自分の価値観や立場からさまざまな物事を「主観的」に考えるという考え方です。
簡単に言うと、人間は自分の好きなように物事を見ているということ。
例えば、色とりどりの花を見て「キレイ、可愛い、いい香り」と思う人もいれば、「虫がいそうで嫌だ、ニオイが嫌だ」と思う人もいます。
これはそれぞれの人が自分は正しいという見方で世界を見ているのです。さまざまなことに対して、人の数だけその人にとっての正しい世界の見方があります。
社会統合論
人生においての問題や悩みは、ほとんどが人間関係です。
「自分と他人」、アドラー心理学でいう他人とは、相手の人数は関係なく複数人でも1人でも「自分という個人」と関係する相手という存在のことを指します。
人間は自分以外の人間に常に関わり存在しています。孤立していると感じる人もいるかも知れませんが、そうではありません。
私たちの考える社会はごく身近なことで、本来私たちはそれよりももっと大きな世界のなかに存在しており、その存在しているすべての人が繋がっているのです。
また、他人との関係について、人間は対人関係によって目的や行動が変わります。
好きな人、嫌いな人など自分にとってその人がどんな存在であろうとも何かしらの行動を起こします。
アドラー心理学の社会統合論とは、それらを観察することで人間性を理解することができるという思想です。
ただ嫌われる人とそうでない人の違い
人間は生まれてから死ぬまで常に人と関わり生きています。そのなかで人に嫌われて生きるのは辛いもの。
自分がその人に対する自由な感情により、その人とどういう関係でいたいかという目的に向かい心や身体を動かすことで、人間関係が作られるのです。
一般的に嫌われる人というのは、「自己中心的」「ウソつき」など基本的に人のことを考えて行動しない人ではないでしょうか。
世の中は自分1人ではないのです。
必ず誰かしらとの関わりがあって自分が存在しています。自分主体で物事を考えた末に、人にただ嫌われるのも自分が選んだことなのです。
そんな人を見て、嫌われるのが怖くて自分の感情や考えにウソをついてまで相手に合わせたりするのは無駄なこと。
間違っていることには賛同しなくていいのです。たとえその人に嫌われても。これはただ嫌われるというのとは違います。
すべては自分が選ぶ人生です。できるだけ人に嫌われたくないというのが人間の心理ですが、正しいか間違いかを判断するのもまた自分。
ときに嫌われる勇気も必要なのです。その勇気を持てば、自分らしい人生を送ることができるとアドラーは説いています。
さらにアドラーが残した名言20選は下記のページで紹介しています。